うたかたの日々

育児中のパパ目線から、日々買わされるボーイズトイや教材などのレビューを書いていきます。

迷路実験により篩にかける優劣、或いは、楽観的アルジャーノンに花束を

このブログは、育児中のパパ目線から、日々買わされるボーイズトイや、教材などのレビューを書いていくために継続しています。
と言う一文から、おそらくは素直に読み取れるであろう、牧歌的な印象や明確なアフィリエイトはさておいて。
あらかじめ趣旨からは外れない程度に、今回は小見出しのとおりの記事になります。
と同時に、ごく個人的な記憶によれば。
たしか子の教育方針を考えてみた際に、前提として、妻に話して聞かせた戯言。
もしも前者のみに絞って話したとしたら、彼女の心情にとって、決して良い印象のみを残さないだろうと予見し、あえて後者のあらすじと解釈を織り交ぜながら、いわゆるオブラートに包んだ話。

 

まずは迷路実験について、Wikipediaによれば。

迷路実験 - Wikipedia

迷路実験(めいろじっけん)とは、動物行動学などにおいて、動物に迷路を通らせる実験のことである。動物の学習能力などを研究するために利用される。

これは、〜心理学や〜行動学においては、もちろん有名な古典的実験で、パブロフの犬とかミルグラムアイヒマン)実験だとかと同様に、一般的にもよく知られていると思います。
ちなみに古典的と言えば。
SF小説の古典作品「アルジャーノンに花束を」の作中において、その主人公はハツカネズミのアルジャーノンと競争し、負けてしまうことで、人工的に知能を高めるための、不可逆的な外科手術および臨床試験の被験者になるべく同意しました。
なお同作品が発表された、時代背景として。
当時の精神科領域においては、いわゆるロボトミー手術(前頭葉切截術)が治療行為として認められ、1949年には「ある種の精神病に対する前頭葉白質切截術の治療的価値に関する発見」に対し、ノーベル生理学・医学賞が授与されて以降、いまだに取り消されたりはしていません。
ちなみに現代でも、患者からの同意と症状があれば、外科的施術が可能ではあるものの、当然ながら禁忌とされ、主流としては向精神薬をはじめとした薬物の多剤処方と経過の観察が精々。
さて、そろそろ本筋に戻り、迷路実験の概説によれば。

迷路実験は、動物行動学や動物心理学の実験としてよく行われる。
動物を迷路に入れ、ゴールには普通は餌を置き、たどり着けるかどうかを試すものである。
1901年にW.S.Smallがネズミのためのものを作ったのが最初とされる。
どちらかと言えば問題を解決するかどうかより、正しい道をどれくらい早く覚えられるかが注目されることが多い。
迷路を通り抜けることを動物が身につけることを迷路学習と言う。(余談ですが、教材のレビュー内で、あえて周回数を書き留めておく根拠は、ここから端を発しています)

おそらく迷路学習において、被験者が成績を伸ばすために、もっとも有効な方法は、Trial and errorであると考えられます。
日本語の四字熟語で言うところの、試行錯誤ではありますが。
ここでは、IT用語としてのトライアル・アンド・エラーを指します。
実行と修正を速やかに繰り返し繰り返すことで、いずれは最適解を導き出せば良いのです。
なぜならば必要試行回数を増やした方が、学習能力の差異は、より顕著に現れるはずだからです。

では、ここで代入、もしくは置換を、ぜひ試みてください。
例えば、動物を受験(検)者とした上で、迷路を試験(検)問題として、あらためて解釈を書き換えてみましょう。
今現在、日本国内で実施されている試験(検)と言えば、受験(検)者の中から相対的に、一定数の合格者を選出するために、まるで篩にかけることが前提であり、あらかじめ限られた出題範囲から傾向が用意され、必要とされる学習時間も大凡、設定されています。
あとは、言わずもがな。
もしも、これ以上の説明が必要な場合や、どうしても理解に苦しまれるようであれば。
何はともあれ「猫が好きか? それとも、犬が好きか?」と言う、他愛ない話題に置き換えておきたいと思います。
ごく個人的には、猫派です。

そして長々とした話の終わりに、折り入って、妻に訊ねてみました。
「子の将来について、どのような進学と職業を望むか?」
付け加えて、相応に手間暇を費やしてあげなければならないから、願わくば前もって伝えて欲しいと。
すると妻からの解答は「特にない」でした。
もちろん枝葉はあれども、あくまでも健やかな成長を望み、ママとして見守っていきたいと。
それならば、ごくありふれた玉虫色の回答でも、きっとそれが良いのだろうと、パパとしても思いました。
どうせ、なるべくして、なるようにしかならないからです。

そもそもアルジャーノンには、群を抜いてしまう知能も、花束も、人から与えられる何もかもが、決して必要ではありませんでした。
なぜならば、創作上のハツカネズミなのだから。

かつて両親の間で、こんな話し合いがあったことを、子が知る機会は、いつまでもありません。